失われかけた未来を手に入れた建築オタクは、<br>運命の出会いで覚醒する。
那須貴寛 インタビュー<前編>

失われかけた未来を手に入れた建築オタクは、
運命の出会いで覚醒する。

「小さい頃から持病で何度も入退院を繰り返していたので、20歳まで生きられないと思っていました。1分1秒でも時間を無駄にしたくないという思いは、それが原点かもしれません」と、海外事業室 那須貴寛は話す。

高校生になった頃、病気が回復してようやく未来に目を向けられるようになり、いつか世界で仕事をしたいと、英語の勉強に勤しんだ。しかし、進学のタイミングで、入院していた頃にキャンピングカーや家のレイアウトを夢中で描いていたことを思い出し、大学の建築学科へ進む道を選ぶ。

オノコム名古屋にて那須 貴寛

就職活動を始めた2010年は、いわゆる就職氷河期。そのうえ希望する設計の仕事は人気が高く超狭き門だった。大学の同期は、何十社受けても内定が取れず途方に暮れていたが、那須は狭き門を易々とすり抜けた。たまたまアクセスしたオノコムのホームページでAAスクール出身者の存在を知り、設計の募集がないにも関わらず応募した。AAスクールとは、ロンドンにある1847年設立の英国建築協会付属建築学校の通称で、世界的な著名建築家を数多く輩出した超名門校である。

「建築オタクにとってAAスクールは、夢の世界というか、神の領域というか、聖地なんです。豊橋のゼネコンに卒業生がいると知り面接へ駆けつけると、1次・2次・3次とスルスル面接が進み、社長面接になりました。勝手にポートフォリオを持ち込み『設計をやりたいので見てください』とプレゼンしていろいろ話していたら、AAスクール出身者が達朗社長だとわかり、運命を感じました。建築家の話とかでめちゃめちゃ盛り上がり、流れで『じゃ、設計しちゃいなよ』みたいに言われて入社が決まりました」

那須 貴寛の学生時代の作品
那須が社長面接時のプレゼンに使ったポートフォリオの一部。大きな構想を細部にまで落とし込んだ、話し出したら止められない、まさに“オタク”らしい作品ばかりだ。

研修終了後、半年で設計部に配属された。何でものめり込むタイプの那須は1人で図面を書いたり、模型をつくったり、CGをつくったり、1日48時間あっても足りないほど仕事に没頭した。

入社7年目、社長の小野が「来週、フィリピン行くんだけど、誰か一緒に行く人いる?」と聞いたとき、1人手を挙げたのが那須だった。

翌週にはフィリピンの土を踏み、現地で日本の大手ゼネコン出身者が設立したCADセンターを訪問、図面をCADデータ化する仕事を見学した。その後、社長から『那須のやりたいようにやっていいよ』と、海外拠点の立ち上げを任された。

「初めてフィリピンへ行ったとき、町のあちこちにストリートチルドレンがいて複雑な気持ちになりました。この子たちにお金を渡すのは簡単かもしれないが、そうではなく設計の力で、この子たちの未来を変えたいって思いました」

「縁もゆかりもないフィリピンの地で1人で拠点の立ち上げに奔走する那須。先の見えないチャレンジは、やがてオノコムの成長を支える基盤として実を結ぶ。

<後編>常に挑戦を続ける建築オタクは、海外で戦うための称号を手に入れた。

那須貴寛

プロフィール

那須貴寛

2011年入社。海外事業室 テクニカルマネージャー

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